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  • ファーブル昆虫記を読んだあの頃に戻りたくて

    「虫、好きですか?」

    こう聞かれたとき、大人になった自分は少し間を置いてしまう。嫌いではない。むしろ、かつては誰よりも好きだったはずなのに。


    ファーブル昆虫記との出会い

    小学校低学年のころ、一冊の本に出会った。

    ファーブル昆虫記。フランスの昆虫学者ジャン=アンリ・ファーブルが、野山の虫たちをひたすら観察し続けた記録だ。当時の自分には難しい言葉もあったけれど、ページをめくる手が止まらなかった。虫をただ「気持ち悪いもの」としてではなく、「観察する対象」として見つめるファーブルの眼差しが、子供心に深く刺さった。

    本を読み終えた翌朝、虫かごを持って外に飛び出したのを今でも覚えている。


    毎日が発見だったあの頃

    それからの夏は、毎年クワガタとカブトムシの採集から始まった。早朝、まだ親が寝ているうちに起こしに行って(今思えば迷惑だったに違いない)、一緒に林へ向かった。

    中学生になるころには、オオクワガタやダイオウヒラタの飼育に手を出していた。幼虫から成虫へと育てる過程の、あの静かな興奮は今でも忘れられない。

    虫探しに季節は関係なかった。夏の採集が終われば、クワガタの越冬管理が始まる。温度や湿度を気にしながら、静かに春を待つ。そして啓蟄のころ、アリが地面を歩き始め、モンシロチョウが飛び始めると、もう歓喜だった。虫って本当に暦通りに出てくるんだ、と毎年新鮮に感動していた。

    夏はセミの声で季節の進行を感じていた。ニイニイゼミが鳴き始め、やがてアブラゼミに変わり、ミンミンゼミへと移っていく。そのリレーを毎年耳で追いながら、夏が深まっていくのを感じていた。

    実家の近くに、小さな川があった。決してきれいな川ではなかったけれど、そこにホタルが生息していた。家族みんなで夜に見に行ったあの光景は、今でも忘れられない。

    特別な体験は他にもある。

    林でセミの幼虫を拾ってきて、家のカーテンにそっとくっつけた。深夜、家族を起こして全員で見守った羽化の瞬間。薄い翅がゆっくりと広がっていくのを、誰も言葉を発さずに見ていた。あの夜の静けさと感動は、今でも胸の中にある。

    庭のパセリにキアゲハが卵を産みつけたときは、家族を巻き込んでセリ科の植物を育てまくった。毎年、庭が蝶の楽園になっていった。幼虫が葉を食べ、蛹になり、やがて羽ばたいていく。その一部始終を見守るうちに、植物のことも自然と詳しくなっていった。

    バッタ、コオロギ、キリギリス、ツユムシ。鳴く虫の産卵や脱皮を間近で観察したこともある。ただ、深夜の鳴き声が家族の不評を買い、「昆虫を家で飼うときは家族の協力が必須」という教訓を幼いながらに学んだのも、今となっては笑える思い出だ。


    いつの間にか、遠ざかっていた

    高校、大学、就職。気づけば虫かごを手にしない季節が続いていた。

    自然に触れる機会が減り、休日は疲れを癒すだけで終わる。林に行くことも、空を見上げることも、いつの間にか習慣から消えていた。

    別に虫が嫌いになったわけじゃない。ただ、忙しさの中で「後回し」にし続けていたら、気づいたら何十年も経っていた。


    童心に帰りたくて、このブログを始めた

    ある日ふと思った。

    あのセミの羽化を見ていたときの感動、キアゲハが庭に帰ってくるのを待っていたときの高揚感、深夜に家族で息を潜めていた静けさ——あれは何だったんだろう、と。

    生き物と向き合うことで生まれる、あの純粋な感情。小さな命との出会いと別れ、その中で芽生える愛着や驚き。大人になった今、もう一度あれを感じたい。

    ファーブルがそうしたように、虫かごと観察眼を持ってまた外に出てみよう。そう思ってこのブログを始めた。


    このブログでやること

    「ファーブルの縁側」では、こんなことを書いていく。

    国内の身近な昆虫の採集・観察・飼育の記録、種類の見分け方や生態の話、そして子供と一緒に楽しむヒント。難しい専門書ではなく、縁側でお茶を飲みながら話すような温度で。

    子供のころ虫が好きだった大人へ。我が子に虫の面白さを伝えたい親御さんへ。そしてかつての自分のように、ファーブル昆虫記を読んで胸を躍らせた誰かへ。

    一緒に、あの頃に戻ってみませんか。